05年高校野球雑記 ◇04年管理人、高校野球に口を挟む ◇03年高校野球独善的観戦記

 というようなわけで、今年も夏の高校野球が始まった。

 毎年、「観戦記」とか「雑記」というタイトルで稚拙な文章を掲載する慣わしであるが、今年も懲りもせずやってみたりする。

 で、毎年、途中で力尽きたりもするが、ご寛容を。

 今年は『いずれ訪れる敗戦をいかにして受け止めるか』という切り口で(途中で変わるかもしらんが)書いてみようと決意する次第である。

 トーナメントという一発勝負に於いて、彼らは勝ち続ける以外にチームの存続を図る方法はなく、敗戦すら一度しか訪れてはくれないのである。たった一度の負けをどれほど価値のあるものにするか。突き詰めれば、夏の高校野球はそれが全てなのかもしれないと考えるに至った。

 ここ日本に於いて、18歳はそれまでの人生で未経験の様々なことを一気に知る年齢である。野球に限らず、終りを受け入れるという精神状態とはいかなるものであろうか。一端に触れられれば幸いである。

by 管理人 06.07.17記

06年度北陵野球部訪問記
 

やはり難しいシード校の初戦
対鎌倉学園 三たび
 
 ほんの2週間前のことなのである。

 北陵野球部を訪ね、夏に向けての抱負を聞いたのは。

 しかし、彼らの夏はもう終りを告げた。

 シード校ゆえに、2回戦から登場しなければならない難しさ。相手は一度勝ち、精神的にもウォーミングアップが為されている。

 しかも、その相手が鎌倉学園である。昨秋は負け、春には勝ち、決着をつける戦いではあったが、何も初戦でぶつからなくてもよかろうに。世ではこれを“因縁”と言い、“宿命”と言う。

 戦前、松島監督は「どんな展開でも接戦になるはず」と語っていた。

 山口主将は「4点以上離された方は厳しいです」と。

 4回に図らずもその4点差となり、後手を踏んだ北陵は、ついにその差を逆転することなく、短い夏を終えた。
 
 
 
 試合展開のアヤというのはやはり存在する。

 先制しながらも、内野守備の乱れで2回ウラに逆転を許し、その後もボディブローのように1点ずつを加えられる。6回には2年生捕手の柴田くんがホームランを放つも、そのウラすかさず加点され、戦前山口キャプテンの言っていた“4点差”をキープされる。

 北陵サイドから見ていると「潜水艦の中で、徐々に浸水し、もうすぐ水位が首まで届きそう」とでも言いたくなるような息苦しい展開に、スタンドからも小さなため息が漏れる。

 それでも北陵は相手投手のコントロールの乱れを突いて、7・8回には満塁のチャンスも作った。が、いずれも二死ということもあり、それを最少失点で切り抜けられると、最終回、代打・代走策も実らず、万事休した。

 北陵ナインはこの敗北をどう受け止めたか。それは、彼ら一人一人の胸の中にしか、答えは存在しないし、今すぐに答えは出ないのかもしれない。いや、もしかすると永遠に答えは出ないのかもしれない。

 しかし、これだけは言えるだろう。

 シード校として迎える夏、そのプロセスは充実していた、と。

  「シード校の矜持と不安」。北陵野球部2006年の夏物語は、鎌倉学園との3度目の対決という組合せ決定からずっと、そのキーワードの支配を受けていた。しかし、そういうぜいたくな悩みもシード校ゆえである。うつむく必要はどこにもない。

 背番号1・麦島くんは、神奈川新聞のインタビューに応えて述べている。

 「やれることはやりましたので。」

 悔しさがないはずはなかろうが、その言葉も彼にとっての真実であるに違いない。

 今年はベンチ入り出来なかった3年生が2人いた。彼らもスタンドでともに闘い、そしてともに泣いた。是非、暑かったこの日のことを忘れずにいて欲しい。
  
(左)背中にメッセージ。ベンチメンバー以外も闘っている (中)ショート臼井くんのお父さん (右)セカンド岡本創くんのおとうさん
  
父母は勿論、吹奏楽部・チア・応援団もスタンド狭しと燃える
  
(左)ピンチでの円陣 (中)相手の二盗を刺した場面 (右)キャプテン山口くんは好守で再三ピンチを救った
  
(左)麦島投手。一度降板するも、最後はまたマウンドに (中)2年生・永島投手。この経験を活かして来年は頼むね (右)2年生捕手・柴田くんは強肩に加え、6回にはレフトスタンドにホームランを叩き込んだ
  

1・2年生「明日から練習」
出来つつある新たな伝統
 
 高校野球の監督というのはひどく辛い仕事である。勿論、楽しみもあるから続けられるわけだろうが、勝ったら選手の功績、負けたら監督の責任といった風潮もあり、尚且つ休日は遠征だったり練習試合だったりして、家庭をかなり犠牲にしなければ務まらなかったりするのである。

 管理人がこれまで取材をしてきた監督のほとんどは、それを厭わず、むしろ受け入れて部員たちと対峙している。ある意味、変人でなければ続かない職責ではなかろうか...。
(あの、別にこれって悪口じゃないですよ)

 管理人の知る限り、北陵高校松島勝司監督は「情の人」であり、滅多なことで声を荒げたりしない。『愛される野球部』を標榜し、不躾な管理人の質問にも丁寧に対応してくれる。

 鎌倉学園との試合後、松島監督は「今日の敗因はわかりました。それを活かしてこれから闘っていきます」と管理人に話してくれた。

 「序盤、堅くなってましたね。特に2回の守備は...。それと、こちらが得点したあとすぐに向こうにも得点される展開だったので、受けに回ったところもありました。7・8回の満塁の場面ですか?ん〜、待球作戦は考えられなかったですね。序盤には球数を放らせるように指示しましたが、2アウトでしたし、やはり待っているだけでは勝てませんから。向こうのピッチャーも球が散っていて、絞りづらさはありましたが...。4回以降はこちらの力もそこそこ出せたように思いますよ。」

 初戦敗退はシード校の監督としては、当然辛いものがあるはずだが、言葉を選び、努めて冷静に。

 高校野球の監督が、プロ野球の監督と違うのは、「今日負ければ明日はない」「選手は毎年変わる」という点と、あくまで部活動なので「教育」を原点とするという点にある。

 それが日本に於ける高校野球であり、であればこそ時代が変わっても愛されるのであろう。松島監督はそのことをよく理解している人である。

 さて、どうやら恒例らしいが、引退する3年生たちは松島監督の家に集まり「解団式」を実施する。そこでは監督と選手という立場を離れ、一人の大人の男と若者たちが本音で話すのであろう。そこに立ち会うことは叶わないが、松島監督なら野球を通じて選手たちの心に響く言葉を掛けてくれるに違いあるまい。

 平塚球場脇でのミーティングの最後に「1・2年生は明日から練習するから、そのつもりで」と彼は言った。それに応える1・2年生たち。

 北陵野球部は今間違いなく新しい伝統を築きつつある。部外者の管理人が言うのも変だが、いや、部外者でたまにしか訪れないから言えるのかもしれないが、強くそれを感じる次第である。

 礎を作る監督がいて、その監督の考えを理解した学生コーチ・マネージャーが途切れなくそれを継承してゆく。松島監督の就任3年を経て、北陵野球はこれからが大きく花開く時期だと確信する。