この偶然は必然か...こんな演奏会があるという幸せ
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去る5月1日ならびに5日、藤沢市民会館で「茅ヶ崎・寒川5校吹奏楽演奏会」という名の演奏会が行われ、管理人も出掛けてきた。 出演順で言うと、1日:茅ヶ崎高校・鶴嶺高校、5日:寒川中学・寒川高校・北陵高校。 彼らは東日本大震災とそれに伴う計画停電により、3月末から4月上旬に予定されていた定期演奏会という年に一度の晴れ舞台を中止に追い込まれそうになっていた学校である。 年度末の集大成としての演奏機会を失うことは、各校吹奏楽部の歴史に穴を開けることでもあるが、特にこの演奏会を最後に各校を巣立つ3年生諸君にとってはただならぬ寂しさもあることだろう。 また、そうした3年生を指導してきた人たちにとっても痛恨の思いかと推察する。 しかし、人間、追い込まれればいろいろと知恵が働くもので、震災がもたらしたこの状況が、日頃は学校単位で活動している吹奏楽部関係者に自らの意志で合同の演奏会を催すことを決意させたのである。 「定期」演奏会がイレギュラーな形で結実するというこの偶然は、やはり必然であると考えるべきであろう。 こうした事情はもしかしたら東日本各地で起こっているのかもしれないが、他者がどうあれ、これまで応援してきた湘南地区の学校が手を繋いで演奏会を開催したことには大きな意義があり、個人的にはたいへん嬉しかった。 そうした気持ちは実際にステージに立った部員たちにはもっと大きな波として感じられたのではないかと推察する次第である。 時期が5月にずれ込んだことにより、新1年生も加わって演奏した学校もあり、それも例年の「定演」の風景とは違っていた。 いろんな意味でやや特別であった今年の「定演」もいずれ、各校の歴史の1ページとして溶け込んでゆくことであろう。 そして、日々を逞しく生きていってもらいたいと願っている。 来年はきっと別の形で会うことになるだろうけど、形にとらわれず、心に響く音楽を届けて欲しい。 今度はコンクール(開催されますか?震災の影響をちょっと心配しています)で成長した姿を見せて下さいね。 |
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5/1 茅ヶ崎高校 第34回定期演奏会 |
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【プログラム】 <第一部> CENTURIA J.スウェアリンジェン 天馬の道〜吹奏楽のために 片岡寛晶 マードックからの最後の手紙 樽屋雅徳 <第二部> アルメニアン・ダンス パートT A.リード RHAPSODY on a theme of Paganini ラフマニノフ |
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写真はステージに掲げられなかった横断幕。でも、想いは十分伝わりましたよ! |
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【印象に残った楽曲】 アルメニアン・ダンス パートT 管理人がこの「部活ネット」というサイトを始めた頃、おそらく北陵高校の定期演奏会でこの曲が演奏され、途中に出てくるトランペットソロ(たぶん2小節だけ)がひじょうに印象に残った記憶がある。 今回の茅ヶ崎高校の演奏でも、わずか2小節だからこその(たぶん、ですけど)丁寧で優しい音色のソロが聴けてクラッとした。 そうした優しい音色からグラデーション状にダイナミクスが上がる演奏は、これから茅ヶ崎高校が目指していこうとする方向性を示唆しているように思えた。 後半部の音の広がり感や思い切りのよい音出し、シンクロ性の精度を上げようという意識といった要素を継続して大切にしていけると、夏のコンクールもますます楽しみですね。 |
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5/1 鶴嶺高校 第29回定期演奏会 |
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【プログラム】 <第一部> エニグマ変奏曲より“Nimrod” E.エルガー 闇の中のひとすじの光 D.キリングハム マードックからの最後の手紙 樽屋雅徳 オセロ A.リード <第二部> 海猿ハイライト サウンド・オブ・ミュージック Make Her Mine |
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【印象に残った楽曲】 オセロ 茅ヶ崎高校に続き、リードの楽曲を選ぶことになった。 おそらくは難曲なのであろう。 それゆえのハイテンションが演奏全体から感じられた。 曲はもともとシェイクスピアの戯曲をテーマに作られたもので、5つの場面構成から成立している。 そのことについて管理人は勿論知っているはずもなく、鶴嶺高校の定演プログラムを読んで初めて知ったのだが、全体にひじょうに解釈力の高い、“絵画的”な演奏に仕上がっていて、感心した。 (管理人は“絵画的”演奏にとても弱いことをここに告白しておく...) メリハリの効いた第一曲から発進し、キレのある煽情感溢れるブラスの第二曲。 強い吹き出しが突き刺さるような第三曲。 これは個人的イメージで言うと『曇天下の行進』という印象で(演奏者たちの意図は違っていたのかもしれないけど)、とてもよかった。 第四曲は1音1音の粒立ちが強い輪郭を持ち、『戦闘前の入場曲』のような力感があった。 そして最終曲はダイナミクスの切換が見事に表現され、切迫感が胸を打つ演奏だった。 これからも素晴らしい演奏を聴かせて下さいね。 |
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鶴嶺高校の第二部は彼らの作ったオリジナル音楽劇。 これが意外に(?)面白かった。 今年の新入生も加わって賑やかで楽しい、それでいて高校生らしいフィナーレは高く評価されるべきであろう。 ちなみに写真右は、部長の笠原稔くん(3年)。 彼は吹奏楽をやるには極めてツライ“肺気胸”という病気に罹りながらも、頑張って担当楽器のチューバの演奏にとどまらず、劇でも大活躍。 あまりムリしないでね。 |
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5/5 寒川高校 第12回定期演奏会 |
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【プログラム】 <第一部> アパラチアン序曲 ジェイムズ・バーンズ ヨークシャーバラード ジェイムズ・バーンズ このぶどうからのワイン ウィリアム・フランシス・マクベス <第二部> ディズニープリンセスメドレー 鈴木英史編曲 服部良一ヒット曲メドレー 波田野直彦編曲 真白き富士の根 ジェレマイア・インガルス作曲/三角錫子作詞 きみとぼくのラララ 中川ひろたか作曲/新藤としひこ作曲 <第三部> ピアノ協奏曲第27番より ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲/岡田寛昭編曲 マードックからの最後の手紙 樽屋雅徳 |
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【印象に残った楽曲】 ピアノ協奏曲第27番より モーツァルト作品を指揮の岡田寛昭さんが編曲したもの。 ピアノ演奏は寒川高校の音楽の先生でもある大島まり子さん。 昨年の定演でも同じコンビで、ますます息の合った演奏でした。 管理人が何に驚くかと言えば、岡田さんのあくなき探究心に対してである。 コンチェルトを吹奏楽用に自分でアレンジするだけでも大変だろうと予想する。 その苦労は彼の肉や骨となってフィードバックされるだけでなく、自らの頭の中で鳴っている音がリアルにわかるだけに、部員たちに対しても細かな音の要求が為されているはずだ(たぶん)。 |
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実際、今回の演奏ではピアノと吹奏楽団のバランスが絶妙であった。 そうした作業を積み重ねてゆくうちに、新たな指導法の発見があったり、作曲技法の進化があったりして、さらに彼の音楽性が豊かになってゆくのではないかとも期待している。 |
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<こぼれ話> |
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管理人が寒川高校の演奏を聴いている時、すぐうしろの列にはどうやら寒川高校の関係者らしき人たちがいらっしゃったようだ。 なぜ気づいたかと言えば、あまりに寒川高校の内情に精通した話題が出ていたからで、思い切って「寒川の関係者の方ですか?」と訊くと、「そうです」とのこと。 話をして下さったのは木村忠先生で、「吹奏楽部は朝練の時には階段の掃除から始めねなど、寒川高校の象徴なんです。彼らがこれだけ頑張れるのは、岡田さんという指導者に恵まれたからです。」とのこと。 岡田さんは、教師ではないが、確かに先生以上とも言える情熱で指導されている。 そうしたことは学校内でもつとに知れている、ということなのであろう。 常にチャレンジ精神も持ち続ける岡田さんの指揮を見ていて、今回思ったことがある。 それは手首より先の使い方が以前より繊細になった、ということだ。 管理人の勘違いかもしれません... もしこの記事を読んだら、教えてもらえますか......? |
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5/5 北陵高校 第31回定期演奏会 |
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【プログラム】 <第一部> 勇敢な飛行 ジェイムズ・スウェアリンジェン ひとつの声に導かれるとき ジェイムズ・ホゼイ ノーブル・エレメント ティモシー・マー <第二部> 交響的序曲 ジェームズ・バーンズ ストンプ・イゴール ロバート・パターソン <第三部> 荘厳序曲「1812年」 ピョードル・イリイチ・チャイコフスキー作曲/木村吉宏編曲 |
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【印象に残った楽曲】 荘厳序曲「1812年」 今回のHWE定演の印象をひとことで語れば『分厚いッスね』に尽きる。 勿論、それは部員数の多さにも由来するが、数が多ければ乱れることも多いのが音楽のつらさでもあり、必ずしも「大人数=音が厚い」とはならないものだ。 しかし、このステージは時々鳥肌が立つほどの波状攻撃を仕掛けられた気持ちになった。 前兆は1月にあった藤沢西高校とのジョイントコンサートでも垣間見えていたが、当時よりもさらに音のまとまりとして響いていた。 第一部の3曲でも『勇敢な飛行』では「劇的ダイナミクス」、『ひとつの声に導かれるとき』では「音の海の中で1音1音をスムーズに繋げる繊細さ」、『ノーブルエレメント』では新倉イズムとも言える「ブラス煽情」といった音楽での仕掛けは当然のこととして、楽曲の始まりと終わりでの部員たちの立ち姿勢が美しいと感じた。 こうしたことが偶然なされるとは考えづらい。 第二部では隠そうとしても隠せない“土屋テイスト”が管理人の気持ちを揺さぶる。 (“土屋”とは北陵の打楽器指導者兼指揮者の土屋吉弘さんのことです。今回は『ストンプ・イゴール』で指揮) 言い方に問題があれば謝りもするが、彼が加わると“ロック”になるのだ。 ロックなのに絵画的。 これが土屋テイストの正体だと睨みました。 (本人にその気があるかどうかは不明ですが) 奇妙な打楽器がたくさん登場するのも素敵だ。 そして、クライマックスは『荘厳序曲「1812年」』。 この曲では、ステージの両端にチャイムが、客席の中ほどの通路の左右にバスドラムが配置され、それだけでもワクワク感満載であったが、サックスの重厚な出だしが柔らかい日射しに包まれたようなイメージで、ゆっくりと物語のページをめくっていくような圧巻の演奏だった。 音の厚さと、音が厚ければ厚いほど困難になるシンクロ性維持が切迫したバランスで保たれており、芯のある素晴らしい演奏で、5校で共催した演奏会のフィナーレを飾るのに相応しいものだった。 今年の北陵は何かやってくれそうな期待感に溢れている。 コンクールが今から楽しみだ。 |
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左)客席で打たれたバスドラム 中)ご存知“てっぴー”こと新倉徹也先生 | |
各校のプログラム。左から出演順に茅ヶ崎高校・鶴嶺高校・寒川高校・北陵高校 |
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【管理人より】 |
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おそらく... もうこのような形での定期演奏会は開かれないのだと思う。 個人的な趣味で言っても、定演は桜の季節にあってもらいたいし。 しかし、一度きりだからこそ、部活全体についても各個人についても、今回の演奏会の価値はたいへんに高いものがあるのだと考えている。 参加者が他の参加者を思い遣る場面がきっといくつもあったろう。 震災でつらい状況にある人たちを憂うる気持ち(=優しさ)の意味がわかった人もいただろう。 人のふり見て我がふり直した人もいただろう。 彼らはこの演奏会で「社会」を経験したのだ。 「社会」というのは他者の中に自分を見出す場所だ。 この経験が彼らの中で有形・無形の力となって宿ることを祈りたい。 やがて、音楽でも、音楽以外のことでも、何かを判断しなければならない時に、この演奏会での経験を何らかの材料として活かしてくれれば。 既に多くの部員たちが“日常”を生きていることかと思う。 “非日常”での経験を“日常”に少しだけ反映させつつ、自らを時に相対的に捉えてみて欲しい。 関係者の皆さん、お疲れ様でした。 音楽は素晴らしいですね。 そのことをまた思い知りました。 ありがとうございました。 |
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<おまけ> |
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これこそ偶然なのかもしれませんが、茅ヶ崎高校・鶴嶺高校・寒川高校の3校が『マードックからの最後の手紙(作曲:樽屋雅徳)』を演奏しましたが、これには何かわけがあるのでしょうか? あ、いやいや、いい曲だとは思うのですが、同年度の同地域の学校の定期演奏会でこれほど楽曲がかぶると何だか偶然とは思えなくて... ...えっ?やっぱ、ただの偶然っすか? あ、そうすか... |
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