湘南台高校(3/25実施 5/3up)
湘南高校(3/30実施 4/8up) 北陵高校(3/29実施 4/7up) ■寒川高校(3/13実施 3/17up)

想いが音として溢れ出るまで
 
 日本という国には四季があります。身を縮めるような冬があってこそ、春の訪れは嬉しいものです。吹奏楽の定期演奏会がこの季節に実施されるというのは実にタイムリーであり、先人たちが4月を「新年度」の始まりとしたことが深く理解されます。

 高校生たちによる演奏会というのは、おそらく大学生・社会人、勿論プロの人たちがやるものに較べて技術的には劣ると思われます。しかし、まだ人間を始めてそれほど時間の経っていない彼らにとって、出会いと別れが満載のこの季節に行われる演奏会は「想いを音として届ける」というスキルを格段に上げる契機であり、間近でその音に触れると“震撼する”という次第です。また、それが個人技ではなく、様々な人間が作るチームでの演奏であることも重要なファクターでしょう。

 これは大学生・社会人・プロに較べて技術的には劣る高校野球が広く愛されているのとほぼ同様の現象かと思います。それほど、若い彼らに秘められた可能性には惹きつけられるものがあるわけです。

 さあ、今年も素敵な音楽でワクワクさせて下さい。楽しみにしていますね。
 
2008年3月17日 管理人・記

それぞれのチームカラー
 
 実は大変に悩んでいました。

 3月25日に湘南台高校、29日に北陵高校、30日に湘南高校と立て続けに素晴らしいプログラムを聞かせてもらったため、「こりゃ本業の隙間を縫っての書評・コメントではマズイような気がする」と思っていました。
(かと言って、時間を掛ければ素晴らしい文章を書けるわけではありませんのでご容赦下さい)

 で、詰まるところ、「もう感じたままに書くしかない」という至極平凡な結論に至ってしまいました。ごめんなさい。

 なぜこれほどまでに悩んでいたかと言うと、上記3校の定演に対する目線というか哲学が明らかに違っていると感じられたからでした。冷静に考えてみれば、部の成り立ちや指導者も異なるわけだし、当たり前のことなのですが、受けたインパクトが大きかったため、脳の働きが止まったと言うべきでしょうか。

 ようやく、少しだけ脳内整理をしましたので、例年より少し遅れましたが、まず北陵高校と湘南高校についてアップしますね。湘南台高校につきましては、技術的(管理人の)問題などもあり、もう少しお時間を頂ければ幸いです。

 なるべく、各校のチームカラーが伝わるよう努力しますね。

 ちなみに、読者の方で上記3校をすべてお聴きになったという人はいらっしゃいますか?もしいらっしゃれば、この苦悩を分かち合いたいと願っていますので、是非ご一報下さい(笑)
 
管理人・記 08.04.07

■08.05.03up
 
【冒頭からお詫び by 管理人】
 
湘南台高校吹奏楽部の定演終了から1ケ月余り...。
もう生涯アップされないかと思われた方もいらっしゃったやもしれませんが、ようやくここまでたどり着けたことにちょっとした安堵を覚えます。

2点問題がありました。

@マーチングそのものに対する知識の欠如
これは今も解決されたわけではありませんが、取材日直後は著しい混沌状態であることに加え、本業でもアクシデントが勃発しまくり。
近頃ようやく落ち着いてマーチングのことも学習、整理が可能になりました。
とは言っても、素人のやることですからミスもあると確信しています(確信するなよ!)。
ご意見・ご批判はありがたく頂きますので、よろしくお願い致します。

A動画配信技術の問題
今回、湘南台高校の2007年度作品「B」(ベートーベンの楽曲の編曲版)の著作権が学校自身に帰属する旨お聞きし、これはマーチング普及のためにも映像とともにアップせねば、と強く思ったのです。
ところが、作品が8分ほどの長さなので、mpegなどのファイルではサイズが大きすぎるため、フラッシュビデオで編集せざるを得ないという結論に至るも、悲しいかなその技術が欠如...
そちらの知恵もつけつつ、ということで時間が掛かってしまいました。
申し訳ありません。

また、正直言ってマーチングをどうやって鑑賞すればよいのか、というノウハウもなく、定演についてのコメントなどは一切掲載できる状態にはありません。
したがいまして、今回は「マーチング素人がワンランクだけアップするの巻」といったイメージで捉えて頂ければ幸いです。

でも、ショウそのものは実に楽しく、面白かったです。
全国大会2位というのはダテではありませんね。
定演本番は吹奏楽部出身の教え子とともに出掛けましたが、彼女も「マーチング面白い!」と絶賛していました。

部員の皆さん、保護者の皆さん、指導されている皆さん、支援されている皆さん。
是非とも今後も素晴らしい活動を継続されて下さい。
そしてまた、是非取材に伺わせて下さいね。

音楽はシンクロである
 
いやぁ、ビックリした。

何しろ日常の管理人にとって、MARCHと言えば明治・青山・立教・中央・法政の5大学の総称であり、「この問題が解けないならMARCHはちょっとムリでしょ」などという文脈で使う言葉なのである。
(ちなみに管理人は受験業界に生息しています)

ところが3月22日、湘南台高校「吹奏楽部」定演に先立つリハーサルを寒川総合体育館で「見せて」もらった時、音楽の表現法としてのMARCHINGに驚愕を覚えずにはいられなかった。

吹奏楽という言葉には「行儀よく」「座って」「指揮者を見ながら」「楽譜を前に置いて」「客の居る方に向かって」演奏する、といった一般的イメージがあろうが、そこにあったものは明らかに同じカテゴリーには入らないでしょ、と思わせるものであった。

管理人自身、マーチングの何たるかをほとんど理解しないままリハーサル会場に赴くという暴挙に出たわけであるが、「部活ネット」読者の多くもMARCHINGに対する十分な予備知識がないと予想されるので、管理人が伝えられるところについては説明させてもらいます。
ただ、言葉をどれほど弄しても、伝わらないことも多々あるので、実際に映像を見てもらう方が早いかも。

気の短い人は 「こちら」 にジャンプして下さい。

管理人は、このMARCHINGの最大の魅力は“シンクロ性”にあると断言しちゃいます。

シンクロ性というのは、管理人が音楽を聴く際のかなり重要な要素である「同時性」のことであり、「音」のみが存在する一般的音楽(ふつーの音楽のことです)に於いても勿論重要な要素ではあるが、このマーチングに於いては演奏は演奏の中で、視覚的要素はその中でのシンクロ性をまず求められ、さらにはそれが融合する際にも高いレベルでのシンクロ性が求められる。

じっと見ていると、例えば、太鼓を叩く時の手の動きや、旗やライフルを投げる所作にはかなり精緻な同時性が達成されているのがわかる。
つまり、小さなシンクロが波のように広がってステージいっぱいのシンクロになるというわけだ(たぶん)。

これがピタリと決まった時は爽快である。

シンクロナイズドスイミングという競技があるが、あれですら参加人数は8名である。
その8人がシンクロするのもかなり困難であることは、テレビを見ているだけで伝わる。

湘南台高校の部員は130名である!!!!
彼らがステージ(実際には体育館)で同時性を保ちながら演奏し、動くことがどれほど精密な絵コンテを要するかは想像に難くない。

ハッキリ言って、このマーチングはめちゃめちゃ面白い。
かつて、競技かるたを取材させてもらった時にも感じた「文化部的要素と運動部的要素の融合」に触れ、管理人は胸がワクワクしたのであった。

  
  
  
リハーサル時の写真。こういった絵だけでも「只事でない」雰囲気は伝わる...

マーチングとは... その1「セクション構成」
 
見た目には爽快感あふれるマーチングであるが、いくつか切り口を持って見ると尚楽しい。
管理人の掻き集めた知識によると、だいたい以下のセクションから構成されているもののようだ。

(1)ドラムメジャー
ま、指揮者ですな。
白い手袋をつけて、両手で指揮している。
指揮棒は持っていない。
演奏者はぐるぐると方向を変えるので、逆方向にサブに相当する指揮者もいる。

思い起こせば、管理人は幼稚園に通っていた頃、ドラムメジャーであった。
なぜか鼓笛隊(ナント行進してた!)の指揮者に任じられたのであったが、愚母曰く「あんたの指揮に合わせている人は一人もいなかった」そうである。
協調性に欠ける管理人をとにかく前方に出して、残りのメンバーで何とかしようという幼稚園の先生の戦略であったらしい...。

頑張れ!ドラムメジャー

 

(2)フロントピット
ピットというのはどうやら劇場などで低くなっている所に音楽を演奏する人たちがこっそり入っていた場所のことを指すらしい。
自動車レースで「ピットイン」などと言っているのも同じものを指している。
で、マーチングに於いては、ドラムメジャーとともに「動かない」パートであり、フロント側で固定された楽器(ティンパニーや鉄琴(と呼んでいいんすか?)といった類)を演奏する人たちの総称。

 

(3)ブラスセクション
楽器を演奏しつつ、動き回る。
それだけで尊敬に値する。

湘南台のブラスは、コルネット・トランペット・フリューゲルホルン・メロフォン・バリトン・ユーフォニウム・チューバといった楽器で構成されている(定演プログラムによる)。

ちなみに、チューバは約9キロ。
管理人は腱鞘炎なので絶対に持ち上げられません...(泣)

顧問の羽場先生によると、実際にはチューバは方に乗せられるのでそれほど辛くないそうで、バリトンなどは管を上方に向けて吹くため、一般人では1分と持たないとのこと。
筋トレも不可欠だというのは十分理解できる。

  

(4)ドラムセクション

バッテリー(動力源の意)とも呼ばれる。

個人的にはこのドラム群の絡みが大好き。
スネアドラム・テナードラム(ドラムが6連結している!)・バスドラムの3種類から構成される。

ドラムセクションではスティックの挙動が美しく統制されている。
そうでないと音が乱れるという大前提であるが、このセクションだけをずっと見ていても惚れ惚れする。

あと、スネアのリーダーと思しき子がテンポ確認をする意味なのか、演奏中に「タッタッタッ」(?)という掛け声を出すが、何だかそれもとても気持ちいい。

また、このセクションは持っている楽器が大きいこともあって、視覚的にもかなり重要なポジションかと。
位置によって歩幅を大小自在に変えながらラインを保つのも大変そう。
それがマーチングの魅力なのだろうけど。

  

(5)カラーガード
視覚的効果を担う部隊。
フラッグ(旗)やライフル(銃)を鮮やかに投げ上げたりキャッチしたりする。
ずっと動きまくっている。
定演ではやっていなかったが、おそらくバトンなどもこのカラーガードに入るのかと。

全体図の中で、カラーガードは静止画を動画化させるような役どころであり、楽器の演奏については全くの素人であっても参加が可能と思われる。
勿論、その練習は厳しいのであろうが、敷居が高くない、ということは高校生の勇気を引き出せるかもしれないということであり、このセクションを起点に様々な可能性が模索できる。

  

すごくアバウトながら、上記のような構成で行われている模様。
もし違っていたら優しく教えて下さいネ。

マーチングとは... その2「一般吹奏楽との相違点」
 

管理人は吹奏楽取材歴5年であるが、その経験からマーチングとの違いを確認したいと思う。

(1)ビジュアル性(客の居場所の違い)
一般的に生演奏の音楽というのは客が演奏者と向かい合っているものだ。
それは、演奏者がうしろを向いていたら失礼だからといったマナーの問題ではなく、音がちゃんと届くようにしたいならば必然的に向き合うことになるわけだ。

ところが、マーチングは前後左右に客がいるという状態であり、演奏者自身の立ち位置も動きっぱなしである。
といったことから一般的なホール形式の会場では本質的にマーチングの楽しさは発揮しづらい。
(というより、最初からそういう表現形式だから、ホール会場を選択しないわけだよね...)

これはもう音楽表現法の違いに根差しているものなので、どちらがよい・悪いという問題ではない。
また、これは管理人の個人的感想になるが、体育館(アリーナ)の2階席からというのは全体図が見える上、上に抜けてくる音(特にテナードラム。たぶん...)を堪能できて嬉しい。

そういったことを総合すると、マーチングはまさしくショウ(show)だと言えよう。

(2)楽器そのものの違い
湘南台の楽器に目をやると、フルートやクラリネット、サックスといった一般吹奏楽では花形とも言える木管楽器が皆無である。

これは木管楽器がアリーナなどの会場に於いて十分な音量を保つには相当の人数が必要であるからかと想像できる。
管理人は木管の優しく柔らかい音が大好きであるが、目的に適った楽器で演奏することが聴いてくれる人にとってもありがたいわけで、十分理解できる。

クラリネットの管を上に向けて演奏し続けるってムリあるしね...

  

(3)スポーツ性
マーチングは明らかにスポーツだ。
管理人はリハーサルの合間に腕立てをする部員たちを見て、そう確信した。

ちなみに、管理人の定義するスポーツとは

@瞬発力か持久力のいずれかは不可欠
Aやったら肉体的に疲れる
B戦略性・戦術性を有する


の全てをクリアするものであり、それゆえ「競技かるた」はスポーツの範疇に入れてもよいのでは、と思う。
(そうすることでもっと人気も出ると予想します)

マーチングは3つの要素を全て含んでおり、新体操の団体や飛び込みのシンクロといったオリンピック種目と比肩すべきスポーツ性がある。
そういう観点からすると、一般的な吹奏楽とは全く別物としても扱えるのかもしれない。

実際、マーチングのコンクールは全日本吹奏楽連盟(通称・吹連)が主催する「全日本マーチングコンテスト」と、マーチングバンド・バトントワーリング協会(通称・M協)が主催する「マーチングバンド・バトントワーリング全国大会」の2つがあり、前者は「コンサートバンドによるマーチング」をコンセプトとしているらしい。
ちなみに、湘南台高校が出場しているのはM協の大会で、そこでの2007年度大編成部門(指揮者を含め71名以上の編成)金賞で、順位が2位だったというわけである。
(ちなみに2005,2006年度はいずれも3位!すげぇ)

詳しくはこちらを ⇒ wikipedia「マーチング」

(4)部活動としてのマーチング
一般的吹奏楽部の練習が「音を出す」ということを基本に構成されるのは言うまでもないが、マーチングには楽器演奏という要素以外に、「動き」「視覚要素」も求められるため、それを合わせて指導できる人材が少なく(たぶん)、それゆえ部としての運営は難しさもあろう。

しかし、これだけ大人も楽しめるものでもあるので、これからマーチングを本格的に開始する学校も出てくると予想される。
その際、どれだけその活動に力を注いでくれる教員が存在するかが、マーチングをよりメジャーなものにするかどうかの分かれ道でもあろう。
部活が学校という媒体を拠り所にしている以上、いつの時代もどんな部活も先生次第だと言えるのである。

「部活ネット」では、生徒の応援も勿論であるが、それを支える教員その他の大人たちをもバックアップしたいと願っています。
また、マーチングに対しても、より学習して応援してゆこうと思います。

湘南台だけでなく、他校の皆さんも頑張って下さいね。


 
 
■2008.3.22 リハーサル時の「B」(作品名。ベートーベンの曲をアレンジしたもの)
 フロント側から固定カメラで撮影したものです
 
 
 
■2008.3.25 本番時の「B」
 バック側(っていう言い方でいいんすか?)から手持ちで撮影。ちょっとブレがあります...(涙)
 

堂々の「日本一」宣言! 顧問・羽場弘之先生
 
  
左)定演にて「日本一を目指します」と宣言。その意気やよし 中・右)熱弁の羽場先生
 

定演を3日後に控えた3月22日、寒川総合体育館で仕上げのリハーサルの最中、管理人は実は恐る恐る湘南台高校吹奏楽部を訪ねた。
しかし、 顧問の羽場弘之先生は恐ろしく忍耐強い人であった。
何しろ掛け値なしの素人である管理人に対して、マーチングの基礎の基礎からお話して下さった。
その中で管理人は久しぶりに大人が語る「日本一を目指す」という言葉を聞き、とても嬉しく感じると同時に大きな刺激も受けた。

インタビューは長きに亘ったが、既に前半部でマーチングの何たるかということについては記したので、それ以外の事柄について整理したものを掲載させて頂くこととする。

管理人「湘南台のマーチングが全国2位という成績を収めるようになるまで、どういったご苦労がありましたか。まず、部員をどうやって増やしたのですか。」
羽場先生「いくつかの幸運がありました。前任校でノウハウはある程度掴んでいたつもりでしたが、“伝説の12人”と私が呼んでいる生徒たちが是非マーチングをやろうと言い出したのが大きなきっかけで、彼らを徹底的に鍛え上げた結果、彼らが核になっていろいろと後輩たちに伝えていってくれたんですね。その後、部員は毎年20人ずつ増えるという感じでした。湘南台駅からのアクセスがよいことや、学区が撤廃になったことも追い風になって藤沢市外の生徒がかなり増えましたね。現在、横浜在住の生徒が38名います。」

管理人「なるほど。しかし、それだけでは全国大会上位というわけにもいかないでしょうから、独特のお考えとかもおありでしょう。」
羽場先生「私自身が吹奏楽の出身ですし、大学までやっていましたので、楽器に対する思い入れなどもあったのですが、この学校に来てからは最初からマーチングの大会でいい成績を残そうと思いました。それでまず、音量の小さい木管楽器を編成から外し、吹奏楽のコンクールへの出場をやめましたね。」

管理人「かなりの決意をされたということでしょうが、なぜ?」
羽場先生「てっぺんを目指したいな、と。前任校で一緒だった女子バスケットの先生★編集・注は実際に日本一に導いていますから。そういうのも見ていますし。」

★現金沢総合高校(旧富岡高校)の星沢純一先生。インターハイとウィンターカップを制している


管理人「指導で大切にされていることは何ですか。」
羽場先生「規律ですね。大人数ですからそれがなくなると全て台無しなので。『信頼は力』ということは伝えています。幸いなことに、部活をサボろうというような子は全くいませんから、最低限度の意識づけは出来ているかと思います。」

管理人「実際の指導では、やはり楽器演奏がメインなのでしょうか。」
羽場先生「ん〜、勿論楽器も大切なのですが、“歩く”ということを指導するのが一番難しいんですね。頭の上に本が載っている状態をイメージして、ブレないように。それに、楽器を抱えて、動きながら演奏するのは見た目より大変です。普通の人なら1分持たないくらいなので、ユーフォニウムなどの子は必然的に筋トレをやります。」

余談であるが、部活ネットでも支援している硬式野球クラブチームの「サザンカイツ」が時折寒川の河川敷グラウンドで練習していると、湘南台高校のマーチングの部員がトレーニングしているのを見かけるそうだ。
さらに、羽場先生自身もジョギングして体力向上に努められているそうだ。

恐るべし、湘南台マーチング...

管理人「年間の活動予定などを教えて下さい。」
羽場先生「いろいろとお誘いも頂くのですが、4〜7月は大岡祭などに卒業生を含めて参加する以外は全てお断りして、基本をみっちり鍛えます。11月にマーチングの関東大会、12月に全国大会がありますので、そこに照準を合わせていきます。秋以降はイベントなどにも参加させてもらっています。」

管理人「その全国大会で2位。次なる目標は。」
羽場先生「私としては2位でも悪くないと思いましたが、子供たちが2位とわかって泣くわけです。悔し泣きですね。それを見て、もう一番を目指すしかないな、と。」

管理人「定演というのはどういう位置づけになりますか。」
羽場先生「コンクールと並ぶ重要なものになります。卒業生にとっては集大成ですし、保護者をはじめ、本当にたくさんの人が楽しみにしているイベントですので。」

管理人「あの〜、ちょっと聞きにくいことなんですが、楽器も揃っている方がカッコイイですけど、何か生徒には指示とかしてらっしゃるのですか。」
羽場先生「ええ(アッサリ)。20万円程度のやつを型番指定して買ってもらうようにします。あまりレベルの高い楽器だと却って適さないので中レベルくらいのもの、銀色の楽器に統一しています。」

管理人「コンクール用の楽曲などはどうされているのですか。先ほど聴いていたらベートーベンの曲をモチーフにしたもののようでしたが...」
羽場先生「編曲は外注ですね。05年はビバルディ、06年はモーツァルト、そして07年がベートーベンでした。以前はもう少し吹奏楽的な曲もやっていたのですが、耳馴染みのある曲を使うことでの効果を考えるようになりました。」

この話を聞き、もしや著作権問題がクリアされているかも、と思い至り、ネットで映像と音声を流す許可を頂いた。
管理人はいつも吹奏楽の取材に行き、コメントなどを書いたのち、「これで演奏風景と音が流せたらなぁ」と感じていたわけだ。
音楽なのに音がないのはどう考えてもバランスが悪い。
湘南台高校07年度のコンクール作品「B」(ベートーベンのB)は著作権そのものが学校に帰属しているため、部活ネットでは初めてネット配信が可能になった。
(ちなみに、作曲者の著作権は没後50年で消失するらしい)

管理人「本日はお忙しいところありがとうございました。また後日お話を伺ってもよろしいですか?まだいろいろと整理できないこともありますので...」
羽場先生「ええ、どうぞ。私も聞かれるかなぁと思っていたことでまだ聞かれていないこともありますので(笑)。映像や定演をご覧になって是非また。」
管理人「ありがとうございます。またよろしくお願いします。」

全国2位とはいえ、経験者は約半数。
定演の際、お話を伺った保護者会の会長さんは「うちの子は楽器経験者ではありましたが、動きがあって体力的部分を求められるので、大変でした。3年続けて全国大会に行けて幸せでしたが、部活で湘南台高校を選んだわけではなかったんですよ。」と話されていました。

これはある意味、公立高校の部活の正常な姿であり、あらゆる子に様々な可能性があることを示唆してくれている。
今後の湘南台の活躍には要注目だ。


さらに詳しい活動状況についてはこちら ⇒ 湘南台高校吹奏楽部ホームページ
 
このサイトは羽場先生のブログもかなり充実しています。中学生諸君も是非見て欲しいですね。
 

■08.04.08up
 
音楽は発散である
 
この日、管理人は困り果てた。
前日聴いた北陵定演の「内へ内へ」というベクトルと、この湘南定演は180度の対照性を有していたからだ。

北陵・湘南と二日連続で聴いた人がどれほどいるかは不明だが、もしいるとすれば管理人と同じ感覚に陥ったと確信する。
それがまたどちらも高いレベルで表現されているので、どちらにも“固定的なファン”が存在するのは理解できるし、実際にホールでそういった人たちを発見したりもした。

...湘南の定演は徹頭徹尾「自己の発信」である。

おそらくは「音楽は表現する喜びのために存在する」という発想を拠り所としている。
一般的な高校生がこういった発想で音楽に携わるのは稀なのではないかと思う次第である。
そこには伝統と呼ばれる空気や環境、指導者の音楽観が手伝っていると考えるのが妥当である。

で、メイン指揮者の小澤篤さんに注目をしてこの演奏会を聴いてみた。
結論....この人はサービス精神が服を着て歩いていると称すべき存在だと理解される。

それは演出のためのパフォーマンスや打楽器の演奏を見せる、といった表面的な事象にとどまらない。
(実はそれはそれでかなり面白いのであるが...)

心の中にあるものを音楽というメディア(媒介)を通じて発散し、聴いている人とともに共有しようという大らかな表現法を採っているのだと見た。

そういう音楽環境の下で湘南高校吹奏楽部のサウンドと精神は醸造された。
小澤さんが指揮を執らない曲であっても、部員たちは知らず知らずのうちにその影響を受けているし、そのようなある種のバックボーンなしには高いレベルでの「自主運営」は成立しないものであろう。

衣裳替えで見た目も変化させるとか、楽器を頭上に持ち上げて演奏するとか、体を揺らすといった一連のパフォーマンスは、もしかしたらなくてもよいのかもしれないが、あってマズイというものではなく、「楽しいならやろう」という精神に裏打ちされているのであろう。

結果として、湘南高校の音楽的表現が北陵高校と違うのは必然であり、どの学校も同じならばつまらないものになってしまう。
(両校の定演での写真を較べると、その表現性の違いは一目瞭然である)

ボクシングに喩えるなら、北陵は一発一発のパンチが重いヘビー級で、まともに喰らうとKOされるイメージである。
それに対して湘南は軽いジャブの連打から、隙あらば切れ味鋭いストレート、唐突のアッパーカットをお見舞いする、南米のテクニシャンを思わせる。
(ん〜、通じてます?)

ま、両校には今後もこの地域の吹奏楽でコントラストを成していてもらいたいと願うばかりだ。

しかし、湘南・北陵両校には共通点もたくさんある。

(1)入場料アリ
この地区では他の学校が有料という話は聞かない。
様々な事情が絡んでいるのかもしれないが、お金をもらうことで「恥ずかしい演奏は出来ない」というプレッシャーが掛かることは間違いなかろう。
しかも、どちらもほぼ満席で、内輪の発表会とは雰囲気も違う。

(2)思い切りのよい演奏

細かな演奏スキルについて語れるほど管理人には知識もないが、少なくとも彼らが恐々演奏しているのを見た記憶はない。
おそらくは一定レベル以上の解釈力があるため、納得がいかないフレーズは個人練習もするであろうし、パートごとに「ここはこんな絵を思い浮かべながら吹こう」といった合奏も重ねているに違いない。
特に打楽器での思い切りのよさは地区の中でも双璧と言えるのではなかろうか。
これは勿論、湘南・北陵ともに優れた指導者が愛情を持って指導している結果であろう。

(3)定演プログラムに明らかな意図が感じられる
高校生が2時間以上、音楽で聴衆を惹きつけ続けるのは容易ではない。
演奏会の最終形を熟慮しながら、繊細にプログラミングしているのがわかる。
(但し、管理人のレベルでは全部を聴いて初めてそれがわかる、という話だが)
あ、勿論両校では選曲その他は全く違いますけど。


で、願わくば、来年以降も両校の定演日程がかぶらないでもらいたいかと。
昨年は同日開催だったので...(管理人は分身の術が使えません...)

第1部、自作の「たいせつなもの」の初演で指揮を執った柳川和樹さん
  
  

指揮者5人!全14曲!
 
何しろアンコールまで含めると14曲である。
指揮者も5人登場する。

数だけを見れば、高校吹奏楽部の定演としては極めて多いという印象であるが、先述した通り、「ジャブを連打する」湘南を象徴するものなのかもしれない。

第1部は指揮者を次々と替えながら、息もつかせぬステージが続く。
そこに最後、湘南OBの柳川和樹さん作曲の「たいせつなもの」が、作曲者本人の指揮により奏でられた。

管理人好みのメロディアスな楽曲で、特に木管が歌うように吹いているようであった。
打楽器群の思い切りのよさは変わらず、ピアノはせつない苦悩を表現しているイメージであった。

卒業生によるオリジナル曲、というだけでも価値はあるが、質の高い、今後も演奏されてゆく可能性がある曲、という意味で、湘南高校には新しい財産ができたと考えるべきだあろう。

  
左から新目美菜海さん(新3年)、森本朔くん(新2年)、柳川和樹さん(OB)

第2部はOBたちによる演奏で幕を開ける。
これがまた相当の人数だったりする。
明らかにオッサンも混じっている。

管理人はこのOBの演奏についてちょっとだけ考えてみた。
「なぜここでOBが演奏するのか...」

もしや答えはシンプル?

@OBにも演奏の場を
おそらくどの高校にもパートタイムプレーヤーのOBが多数存在しているはず。
ところが、演奏の機会を失うため、やがて吹かなくなる、というスパイラルに陥る。
これを救うのが定演での演奏であるのかも。
大曲をたくさん吹くことは難しくても、
茅ヶ崎高校のようにOBだけで楽団を作っているというのはごく稀なケースだからね。

A寿司屋のガリ的効果狙い

こちらの方がより現実的なのかもしれないが、一つにはOBだけが演奏する間、現役生たちは呼吸を整え、次なる出番に備える。
ノリのいい行進曲(毎年「旧友」プラス1曲、とのことらしい)を聴かせることで、味覚が変わり、聴衆の脳内に「次はちょっと重たいのが行きますよ」と無理なく予告できる。
寒川高校がハンドベル、北陵高校がアンサンブルというカードを切ってきたのとほぼ同義である。
ん〜、こりゃつまり、OBをガリとして巧みに使うという技であるが、利害関係(?)が一致するというわけだ。

...ものすごく違ってらゴメンナサイ。

で、衣裳を着替えた現役生が登場し、最大の山場とも言える「サガ・キャンディーダ」の演奏が始まる。

どうやら「魔女狩り」の話らしく、歌声が聴く者の恐怖を湧き上がらせる。
音の強弱やバランスを実によく考慮した演奏で、場面転換での音の変化が素晴らしい。

また、湘南らしく、打楽器に思い切りのよさを感じる。
闇の中で、うしろからいきなり服をつかまれるような印象。

ストーリー性と絵画性を感じる楽曲と演奏は素晴らしかった。
バンドとしての実力を発揮したと言えるのではなかろうか。
 

  

そして、おそらく第3部こそが湘南高校のカラーを最も顕著に表しているものであろう。

皆で考えた(と思われる)演出ステージというのは、まさしく「発信 myself」であり、指揮の小澤さんも含め、「楽しいならやろう」という精神に溢れていた。

当然のことなのかもしれないが、演奏精度は高い。
それが約束されていなければ、ただの遊びのステージになってしまう可能性もあるので、リスクもあるわけだ。

「楽しむ」と言葉にするのは容易であるが、本当に楽しいステージにするには、叩きのめされるほど凹む日々や場合により、友との諍いすら経験しなければならないのである。
彼らは大小いくつもの痛みを経験してこのステージに上がったに違いあるまい。

とても楽しく過ごさせてもらいました。
ありがとうね。
 
  
第3部は「ショウ」という位置づけでいいのかな?サービス精神が色濃く出たステージでした
  
ソロを吹く部員が思い切りよく、楽しそうに吹いているのを見るとこちらも楽しいですよ
  
  
指揮者の小澤篤さん。彼の音楽の楽しさ・面白さを伝えようとする姿勢が湘南カラーへと繋がっている
 

プログラム

 第1部
 吹奏楽のための「風之舞」 (福田洋介 作曲)
 「GR」より 明日への希望 (天野正道 作曲)
 大唐西城記より 第一章 序曲 玄奘 (阿部勇一 作曲)
 椿姫より 第一幕への前奏曲 (ヴェルディ 作曲)
 たいせつなもの <初演・湘南高校委嘱作品> (柳川和樹 作曲)

 第2部
 旧友 (タイケ 作曲)
 木陰の散歩道 (ゴールドマン 作曲)
 サガ・キャンディーダ (アッペルモント 作曲)

 第3部
 演出ステージ「Western of Music」
 Mr. インクレディブル (ジアッチーノ 作曲)
 ユーミン・ポートレート (松任谷由実 作曲/真島敏夫 編曲)
 ヘアスプレー・セレクション (シェイマン 作曲)

 アンコール
 アメージング・グレース
 素晴らしき飛行機野郎

 

■08.04.07up
 
音楽は自らとの対峙である
 
管理人は今回で北陵(=HWE)の定演を聴かせてもらうのは6度目である。
そのたび、おそらくは少しずつ、定演でHWEが目指そうとする方向性を感覚的にわかってきたのであろうが、今回は特に25日の湘南台高校のマーチング、30日の湘南高校定演の間に日程的に挟まれたこともあり、それが際立った演奏会であった。

彼らの定演に臨む姿勢というのは、ある意味、修行僧に近いものがある。
作曲者の意図するところを汲み上げ、解釈し、それを他者と摺り合わせ、最終的に自らの心と対話し、表現する。

想いが音として発せられる前段階で、彼らはおそらくは以上のような行為をかなりの濃度で経ているはずである。
それは丸山透という指導者の哲学ではないかと感じられるし、部員もそれを受け入れ、必死に闘っているのが垣間見られる。

したがって、HWEの定演は演奏者自身の緊張感がステージに心地よく残る。
実はそれは聴く側にも「気持ちの準備は大丈夫ですか?」と問うているのと同義であるのだが。

管理人にはHWEが聴衆に対して「ともに心の琴線を震わせましょう」と呼び掛けているようにすら感じられる。

そして、 プログラム編成の妙もあり、ステージ進行に伴って徐々に集結したマグマが噴き出して解放される。
1曲1曲も勿論なのだが、演奏会そのものが一つの物語としての完結性を高いレベルで持ち合わせている。

予想であるが、これだけの盛り上がりを作り出し、これだけの楽曲バラエティ(しかも大曲も含まれる)を取り揃えるとなれば、演奏者である部員たちは相当ハードな練習をしなければならなかったはずであるし、プレッシャーの中、それを表現する必要もあるため、気持ちが萎えそうになる日々もあったのではなかろうか。

それをぎりぎりのバランスで乗り越えてのアンコールまでの大団円は本当に素晴らしく、この味わいはHWEならではのオリジナリティであった。
心から賞賛致します。

  
開場前から長蛇の列。会場はどんどんお客さんで埋まってゆきます
  
  
やや暗いステージに次々にアンサンブルチームが登場(写真下段中のサックス4重奏は第2部と第3部の間に登場)。いよいよ「これから始まるよ」感が高まる。管理人は個人的にアンサンブルが大好きなので、こういうプロデュースは大歓迎。今年は木管(オーボエ・ファゴット?)3重奏の優しい音色と強弱のメリハリ、フルート4重奏のリレーのように音が繋がれてゆく演奏にやられました。管理人は木管楽器の温かみがかなり好きなのだと自覚させられました。また、毎年言っているようですが、コントラバス4重奏(写真なくてゴメン)も素敵だった。なぜあれがアンサンブルコンテストのチーム編成として許されないのか、管理人には理解不能。だって、打楽器のみはOKなんだからね...。定演の中のアンサンブルの位置づけなどについては こちら をどうぞ

第1部 静かなる序章の中に隠れているもの
 
あくまで推測であるが、明らかに意図してシンクロ性の高い曲、ダイナミクスが最大にはならない曲を並べて、気持ちの底の部分にさざ波を立ててゆこうとしている印象であった。
第2部・第3部でもっと大きなうねりが行きますからね、という予告状とも受け取れた。

そして、それはおそらく成功した。

いずれもが佳作と呼べる作品群であった。
管理人は特に「星の船」の中盤に登場する優しく包むようなテーマ(と呼んでいいのでしょうか)に泣けるような、背中が痺れるような感覚に襲われた。

「ムーアサイド」では始まりと第三楽章で“ステレオ効果”とでも呼ぶべきステージ左右からの音響効果があった。
これは意図したものかどうかは不明であるし、楽譜通りに演奏した結果なのかもしれないが。

ステージの左端から右端に掛けて、ずっと音の粒が並んでいないと不安になることも多いかと思うが(演奏者側も聴く側も)、時としてズドンと音の粒が抜けている箇所があると、実はささやかな安心感や、「これから違う音粒で空席が埋まってゆくのかな」という期待感を抱かせる。
(書いていて、意味が通じているかどうかひどく不安だけど)

もし、この現象を文化会館というステージのサイズや音の鳴りまで考慮してコントロールしているとしたら、脱帽である。

いずれにせよ、音量を抑えて、シンクロ性の高い楽曲を第1部で演奏することはプログラム編成の上では必須条件であったかもしれないが、それを実際に演奏できるかどうか、というのはまた別の問題であり、HWEはそれをクリアできるだけの解釈力と演奏力を身につけていた。

最後まで聴いて、今回の定期演奏会が成功を収めた最大の要因が、この第1部にあったと言える、そういう大人の解釈力を持ち得るバンドになった、というのが管理人の感想である。

おそらく、そういった解釈力の向上などはある時急に得られるものではあるまい。
部員たち自身も知らないうちに、日々蓄積されたものなのかと想像する。


 
  
  
  

第2部・第3部 揺さぶられる気持ち 子供を脱ぎ捨てる
 

■スクーティン・オン・ハードロック(ディヴィド・ホルジンガー作曲)

この定演の中で、子供でいることが許される最後の曲、という印象である。

管理人はホルジンガーという作曲家をHWEの演奏で初めて知り、以降ハマッている。
その仕掛け人は土屋吉弘という指揮者であり、その指導・指揮ぶりは彼がその背景として持っている打楽器奏者としての矜持が色濃く出ているものと思われる。

何しろ「やんちゃな」演奏である。

指揮台に飛び乗ったかと思えば、もういきなり演奏が始まっている。
いくら何でもこんなことまで譜面には書かれていないだろう。

彼は緩急自在のテイストで、聴く者に“絵画性”を気づかせる指揮者である。
昨年の「春に〜王たちが戦いに向かう時」にも相当驚かされ、免疫は出来ているはずだったが、あまり効かなかったようだ。

選んでくる曲自体もかなりハチャメチャでありながら、コントラバスや木管群がきちんと下支えするバッキングに加えて、当然の如く打楽器のキレがスゴイ。
この曲は半音進行というかジャジーなところもあり、ずんずんと引き寄せられる。
土屋さんが具体的にどんな映像イメージを持ってこの曲と向き合っているのか、聞いてみたいと思った。

...管理人はついにホルジンガーの曲が収められたCDを買いました。
あなたの影響力は偉大です。


■アルメニアンダンス パートU(アルフレッド・リード作曲)

直前の「ハードロック」でちょっとした虚脱状態になった管理人は、正直に告白すると「アルメニアンダンス」が始まる前、ボーッとしていた。
で、客席を見渡したわけであるが、他のお客さんからも止めていた呼吸を再開するかのような溜息が漏れるのを聞き逃さなかった。

「...こりゃ次の曲は大変だ。透ちゃんの指揮は大丈夫だろうか...」

ところが、管理人の心配は杞憂に終わった。
「アルメニアンダンス」の演奏が始まってしばらくすると、溜息の主が上半身を乗り出してステージを凝視、曲に合わせてリズムを取っている。

こんな情景は勿論ステージからは見えないであろうし、まして指揮者は客席に背中を向けているからなかなか察知できるものではない。
しかし、客が音楽に集中しているかどうかは背中でも感じられるはず。

子供のあどけなさを残した「ハードロック」から、少し経験を積んだ青年への過渡期を想起させる「アルメニアン」へと見事変貌したのであった。

第一楽章では、暗い部屋の中でひざを抱えて静かに泣いている少年に少しずつ光が差し込むイメージで、木管の音色がひじょうに優しく感じられた。

もし、この第一楽章を「ハードロック」を受け止め、第二・第三楽章への架け橋という捉え方で演奏することを予期して選曲していたとすれば(たぶん、そうなんだろうけど)、その選曲センスは素晴らしい。
少なくとも管理人はその罠にすっかり嵌ったわけである。

第二楽章は何となく「春が来たよ」というイメージで、音にしなやかさと柔らかさを感じた。
さらには、とうとう、と言うべきか、ダイナミクスがほぼMAXになる場面も登場し、管理人は背中が痺れまくった。

そして第三楽章に於いては、激しい場面転換の中、木管・金管・打楽器が気合の演奏。
音量も「大→小→大→小」を繰り返し、静かに歩いているイメージから一転、栄光に向けての疾走を思わせる緊迫感があり、聴き終わったあとには心地よい疲れが残るという、ある意味最高の“オーディエンス・ハイ”状態であった。

■アルプスの詩(フランコ・チェザリーニ作曲)

間にアンサンブルを挟み、いよいよ最後のメインディシュである。

まさしく大曲で、聴いている最中、「荒野を目指す青年」「求めるものと出会うまでの長い道程」といった“大人への階段”を昇ってゆく若者のうしろ姿が想起された。

しっかりした低音に支えられ、少しずつ夜が明けてゆくイメージ、さらにはマグマが噴き出そうな高揚感、ゆっくりとぼとぼ歩くような失意。

そんな絵をいくつも想像させてくれる演奏で、途中にはかなり自在な演奏形態も含まれていた。
それが楽譜通りなのかどうかは聞き漏らしてしまったが、さしたる問題ではなかろう。

第1部からこの第3部の「アルプスの詩」に至り、プロデューサー・丸山透の意図は氷解した。

成熟しようともがく若者

実際には、そこに若者だけでなく、既に若くはない者の情念や生き様すらも透かしつつ、「乗り越える」ための方策を模索しながら。
子供を脱ぎ捨てようという決意が、時として必要なのだというメッセージとも受け取れた。

まず、自らと対峙せよ。
HWEの定演はすべてそこから始まっている。


ちょっとだけインタビュー
 
実は時間が押して、終演後、管理人は結構切羽詰っていました。
で、丸山先生へのインタビューもいつもよりはグッと短め。

...お許し下さい。

管理人「お疲れ様でした。今回、テーマのようなものはあったのでしょうか?」
丸山先生「去年の演奏会を多くの人たちにお褒め頂いて、今年はそれを超えようと。」
 
管理人「演奏スキルも当然のことながら、楽曲への解釈力であるとかも、ということですよね?」
丸山先生「ええ。解釈の次元を1つ上げようという気持ちでやってきました。」

管理人「それは十分に伝わる演奏でした。ところで、昨年はアレクセイ・トカレフさんという大物ゲストがいましたが、そういったゲストの有無は演奏と大きな相関関係があるものですか?」
丸山先生「いえ。ご存知のように、うちはゲストを呼んで演奏するというスタイルではありません。トカレフさんから一緒に演奏したいと仰って頂ければ、うちでも勿論歓迎は致しますが。あくまで現役の生徒たちが主体の部活ですから。」

管理人「では最後に。新年度を迎えるに当たって、何かビジョンのようなものはありますか?」
丸山先生「ん〜、まあリスタートの時は常に原点に戻る、ということでやっていますからね。新1年生が入れば、いろいろな面での動きは出てくるとは思いますが。コンクールにせよ、何にせよ、他者との比較ではなく、うちがどれほどいい演奏が出来るか、ということが基本にあります。」

ありがとうございました。
今年度もご活躍を期待していますね。
 
プログラム

 第一部
  ♪たなばた(酒井 格)
  ♪星の船(西邑由記子)
  ♪ムーアサイド組曲(G.ホルスト)
 第二部
  ♪スクーティン オン ハードロック(D.ホルジンガー)
  ♪アルメニアンダンス U(A.リード)
 第三部
 ♪アルプスの詩(F.チェザリーニ)
 ENCORE
 ♪栄光か死か(R.ホール)
 

■08.03.17up
 
彼らの成長は驚異的だと感じました
 

管理人的には「最初にこんなモノを聴かされると、あとの高校に相当プレッシャーが掛かってしまうなぁ...」と既に心配になるような、素晴らしい演奏会でした。

なぜ彼らの演奏にそれほど思い入れてしまうのか、ということを自分なりに整理してみると

@プログラムに無駄がない

少し厳しい目線で見ると、高校生がやることですから、多くの場合「それはなくてもいいんじゃねえの?」的なプログラムが存在するものです。
まあ、それは定演というのをどう捉えるか、という考え方にもよりますからしかたない部分もありますし、それに目くじら立てて「だからダメなんだ」という気も一切ありません。

しかし、寒川高校の今年の定演について言えば、そういった「いらねえんじゃねえの?」的プログラムは全く感じられず、2時間少々という時間がどんどん過ぎていった印象です。

管理人は仕事上、高校生や浪人生の書く小論文を添削することがありますが、たいていは舌足らずであったり、人まねであったり、無理して制限字数になるよう薄く伸ばしたイメージのものがほとんどで、正直言うと「おめぇらみんな退屈なんだよ!」と言いたくなる作品が多いものです。

そうした中で「おっ、これは書きたくてしかたない、表現したい気持ちが溢れているけど、字数制限の関係で削らなければならない。あぁ残念だ。しかたないから、無駄な言葉は一切省いて書くので是非読んで下さい、というメッセージが発せられている」と思うような作品に、ごく稀に出会うことがあります。
それは読んでいてワクワクしますし、作者の脳内宇宙を感じられて、とても楽しいわけです。

今回の寒川高校定演は、プログラム的にも、おそらくは音楽的にもそういうプロデュースだったのかと感じました。
緩急がひじょうにうまく効いていて、全体に物語がありました。

A層の厚みと積み重ねた解釈力の成果

管理人は寒川高校吹奏楽部とはほぼ丸5年のお付き合いになりますが、この間(それ以前も)指揮者は一貫して岡田寛昭さんであり、彼が自らの時間や労力を割いて、愛を注いできた結果、心から音楽を好きな部員たちが育ち、それが幾重にも連なって厚い層が出来つつあることが認識されます。

それと並行する形で部員たちの音楽的解釈力(とでも呼べばよいのでしょうか)がグングン上がっているのだと思われます。
文字にしてうまく表せないのがもどかしいですが、明らかに彼らの発する音が、前方(客席側)に向けて大きな波のように襲いかかります。

日々、そうした訓練を欠かさずやっているのでしょうが、数名のOB・OGが賛助することもあって、「あの人数でこれほどの音量?」と思うほどのダイナミクスを実現しています。

さらに言うと、ダイナミクスだけでなく、明らかに「精緻に」吹くという意識が高いです。勿論、これらは切り離すことは難しいので当然の帰結だとも言えますが。

 
まあ、ちょっと褒めすぎかもしれませんが、純粋に音楽を聴く(ライブですから見た目も含めて)という点からも十分に「意志」が伝わる演奏会であったことは間違いありません。
演奏終了後に「ブラボー!」という声が上がりましたが、管理人も同感でした。

素晴らしい演奏をありがとう。




開演前と第2部開始前に行われたハンドベルステージ。食事に喩えると「前菜」や「食前酒」に相当するでしょうか。このハンドベルと合唱が進行全体に与えたメリハリは計り知れぬものがありました
 

第1部・・・10年という節目を前に
 
◇シグネイチャー(J.V.バンデルロースト作曲)
◇バンドのための民話(J.A.コウディル作曲)
◇マナティリリック序曲(R.シェルドン作曲)
◇わらべうたづり(小島里美編曲)
◇交響的断章(V.ネリベル作曲)

 
どうやら寒川吹奏楽部のこれまでの足跡を辿る選曲であったようだ。

「交響的断章」は03年のコンクールで初めて県大会出場を果たした楽曲であり、管理人が初めて取材させてもらった時、この曲の練習をしていたことを思い出した。
なので、強く印象に残っているのだが、この日の演奏はそういった記憶さえも圧倒する強烈なデキであった。

5年という歳月が指揮の岡田さんと部員たちに余裕をもたらしたのかもしれないが、ギリギリのところで演奏しているのではなく、味わいつつの演奏という印象が強く残った。
ブレイクと残響音は聴く者に激しいインパクトを与えるものだった。

適切な比喩かどうかわからないが、2メートルの自己記録を持っているハイジャンパーが1メートル60センチに掛けられたバーに向かって跳躍するかの如くの第1部であった。
 

  
  

第2部・・・鬼気迫る「白鳥の湖」
 
◇オペラ座の怪人(A.L.ウェバー作曲)
◇ロマンツァ(J.バーンズ作曲)
◇「白鳥の湖」より(P.I.チャイコフスキー作曲)

アンコール:「ローマの松」より アッピア街道の松(レスピーキ作曲)

 
“鬼気迫る”という言葉を使ったのは寒川高校の校長である石塚昭司先生である。
石塚先生とは「部活ネット」立ち上げ当初からのお付き合い(当時は鶴嶺高校教頭)であるが、演奏終了後、「いやぁ、本当に鬼気迫るものがありました」と感想を述べられていた。

管理人も同感で、リハも見せてもらったが、岡田さんは怒鳴りまくっており、本番を迎える頃には喉はガラガラという状態になっていた。

「本番では練習通りにやるんだ。本番だけ特別なことをやろうと思っても絶対に出来ない。お客さんにどう聴こえるかなんてことは考えなくていい。魂がまだ足りてない!複雑な感情表現なんだから1つずつの音を大事に。それを乗り越えないと人を感動させることなんで出来ないよ!最後は頭でなく感覚で吹くんだよ!そのために頭を使って練習してきたんだよ」

文字にするとイメージが湧きづらいかもしれないが、岡田さんはリハの最後の最後まで1つの音に対する執着を見せていた。

「白鳥の湖」は生徒との約束で、普段は岡田さんが担っている裏方の仕事を生徒たちがやってくれるという条件で(やってくれれば時間ができるから)、岡田さん自らが編曲したものである。
チャイコフスキーの作品より短いとは言え、20分もの大曲である。
この曲に対する思い入れは生徒も岡田さんも相当あるはずで、それを絶対に成功させようという意気込みは、少なくとも管理人がこれまで見聞きした定演では感じたことのないレベルであった。

それがまさしく鬼気迫る演奏となり、校長の気持ちを揺さぶったのである。

管理人のメモには

リハーサルよりもダイナミクスあり、うねりを感じさせる迫力
min→max コントロールできている
音にキレとハリがあり、輪郭がハッキリしている
小さな川が徐々に集まり、大きな大きな川の流れとなる、荘厳なイメージ

とある。
実際、メモを細かく書いているほどの余裕が与えられなかった、というのが正しい。

それは、技巧的に優れているのも勿論だろうが、魂をぶつけるかのような演奏だった。

直前に「ロマンツァ」を聴き、既に木管群が限りなく優しい音色で奏でようと努力し、そこに金管が溶けてゆくような感覚を得て、「ああ寒川はすごくうまくなったなぁ」と感心していたわけだが、さらにその上を行く驚きであった。

一つ一つの音を、余分なものを削った上で表し、さらにそれをステージから客席へ強く解放しようという意図をバンド全体から感じた演奏で、これは寒川高校ならではのものであった。

成長する寒川吹奏楽部が今後も層を厚くし、「伝統」と呼べるようなものを築くのに、さして長い時間は掛からないと予見させる演奏に、もう一度拍手を贈りたい。
 
  
左)石塚校長 中・右)指揮者の岡田寛昭さん
時間が押したこともあり、岡田さんに対して終演後のインタビューがほとんど出来ず、実際に指揮者の立場から感じたデキについて細かくは伺っていないのですが、おそらく「会心のデキ」だったのではないでしょうか。

こりゃ夏のコンクールも相当期待してしまいますね。
 
★寒川高校吹奏楽部ホームページはこちら→http://smausui.web.fc2.com/